2012年 06月 28日
プロフィール その2 |
とりあえず、お堅いプロフィールは載せてみたので(2013年11月にちょっと変えてみました)
私についてもう少しだけ。
生まれも育ちも東京の世田谷区の端っこ。
中学までは地元の学校に通いました。
母がピアノの先生なので、生まれた時からクラシックに縁がありました。
ちょっと違うけど、父方の叔父叔母なんかは、とっても演歌がうまくてパフォーマンスも上手なので、なんやかんや音楽が身近にある環境で育ちました。
子供の頃は、ピアノが大嫌いで、歌が好きでした。
歌いたくて入った合唱団で、結局ずっとピアノパートだったことは今でも悔しい(笑)
独自のメソッドを持っていた先生との出会いで、私のピアノとの共存はとても変わりました。
音大に進む他の子達とは全く違う教育を受けたので、高校で都立芸術高校の音楽科を受けると決めた時も大変でしたが、入学してからもそのギャップに結構苦しみましたが、それはあくまでも自分の中でのことだったみたいで、周りからは、とってもマイペースな人に思われていたらしいです。
子供の頃から、近現代の作品の方が慣れ親しんでいました。
それが、20代からのイタリア近代作品への興味へと繋がっていったのかもしれません。
高校時代から、伴奏は好きでしたが中でも歌曲の伴奏が一番好きでした。
芸大に入ってからは、管楽器の伴奏をすることが多かったのですが、(歌は1人だけでした)授業で一番好きだったのは、相変わらず伴奏法でした。
ピアノは、スタンダードなレパートリーと、そうじゃないイタリアものとで並行していました。
卒業試験では、シューマンの謝肉祭と、ベートーヴェンの「告別」ソナタ、カゼッラの9つの小品・・・と今思うと、我ながらなかなかいいプログラムじゃないのって思うのですが(笑)当時は「カゼッラ?誰?」どころか「なんでそれ弾くの?」的な感じでした。
それから考えると、2013年に博士号取った時は、かなり待遇が改善されていた気がします。ありがたや。
留学はしたいなと思っていたのですが、大学の初期は「多分、ドイツかな?みんなやってるし私もやろう。」くらいの気持ちでドイツ語をやっていました。
かなり頑張って2年勉強したのですが、最後までまったくドイツ語を好きになれず。
ついていた先生の影響もあって、2年の終わりに友達と初めてイタリアに旅行で行きました。
そこで、全然イタリア語もちょっとしか知らないのに「面白い国だ」と思ってしまい、そこからはもうイタリアに行くことしか考えられなくなりました。
3年から始めたイタリア語は、楽しくて楽しくて自分がどんどん吸収していくのが感じられて嬉しかったっけ。
縁があって、ヴェネツィアで留学を始めたのは2004年3月。
主にヴェネツィア大学の学生が住む、イエズス会の経営する寮にずっと住みました。
ここには、なんとヤマハのグランドピアノが大きな部屋に置いてあって弾き放題でした。
部屋は2人部屋で、男女合わせて常に40人以上がいる寮での生活は、イタリア語の修行の場でもあり、文化と、そして個人としての戦いの日々でした。
その時、日本人というよりアジアからの学生は自分一人でした。
楽しいこともつらいこともたくさんあった留学生活。
2007年の11月に東京に帰った時は、もうイタリアに住むことはないんだな、でも一生イタリアと関わりたいと思っていました。
その後の6年間は、主に歌の伴奏を仕事にしていました。
色々な年齢の人の伴奏をし、最初は「まあ、イタリア語はこの人わかるから」だった自分が不甲斐なくて、頑張っているうちに、ますます歌の伴奏が好きになりました。
今は、ミラノの近くの小さな町に住んでいます。
初めてちゃんと伴奏をきちんと勉強しています。
今までの人生は、反発しながらもピアノだけが中心にある小さな世界でした。
最近は、少し走ったり、山に登ったり、大切な人達との生活を楽しむようになりました。
イタリアでの2度目の生活はまだ始まったばかりなので、不安と期待の入り混じった気持ちで過ごしています。
好きなものは
お茶(これがないと1日はどう過ごしたらいいものか)
ロマネスク美術(写真を見ているだけでも、楽しい)
生ハム(笑)
犬(実家のヨーキーが恋しい)
音楽は、ヘビメタ以外なら大体なんでも大丈夫。
タンゴが中でも好きかな。
絵は、カラヴァッジョとロセッティとルソーが好き。暗い感じの絵が好きです。でも、モネも好きか。
小説は、村上春樹(新しいのより昔の方が好き)、歴史小説はよく読みます。
頻繁にはしないけど、旅行が好きです。
一時、美術館で働いていたので、美術館に入ると最近はどうしても監視員の動きが気になります。
イタリアは結構監視員がゆるーい感じなので、見ていて面白いです。
ものっすごい飲めそうな顔しているのですが、ほぼ下戸です。
全く飲めないわけではないのですが、ワイン、ビールが嫌いです。
ちょっと飲んだだけで真っ赤になり、あまりいい気分ではないです。
でも、きちんとご飯を食べてからの食後酒だけは好きです。(つまり強いお酒をちょっとが好き)
イタリアにいるのに飲めないなんて!ってよく言われますが、そうですね、確かにもうちょっと飲めたらもっと楽しいのかなって思います。
料理は、好きです。
でも、どうも切り方があまり上手じゃないです。
だから、お客さんに出すものはそれがばれないようなものが多いです(笑)
甘い物は好きですが、たくさんは食べられません。
和菓子はあまり好きでないです。
どちらかというと、間食はおつまみみたいなものの方が好きです。
ともかくよく眠れます。
気を抜いたらいつまでも寝ているのではないかと自分でたまに心配になります。
父がそうなので、きっと遺伝です。
父とは顔もそっくりだし、性格も最近似てるなって思うことが多々あります。
母とは一緒にいると、「どういうご関係ですか?」ってお店に入って聞かれたりするくらい似ていません。
弟とは子供の頃からそっくりで、今でもノーメイクの日は髪の長い弟がいるみたいです。
音楽とは関係ないことばかり書いてしまいましたが
これは私です。
私についてもう少しだけ。
生まれも育ちも東京の世田谷区の端っこ。
中学までは地元の学校に通いました。
母がピアノの先生なので、生まれた時からクラシックに縁がありました。
ちょっと違うけど、父方の叔父叔母なんかは、とっても演歌がうまくてパフォーマンスも上手なので、なんやかんや音楽が身近にある環境で育ちました。
子供の頃は、ピアノが大嫌いで、歌が好きでした。
歌いたくて入った合唱団で、結局ずっとピアノパートだったことは今でも悔しい(笑)
独自のメソッドを持っていた先生との出会いで、私のピアノとの共存はとても変わりました。
音大に進む他の子達とは全く違う教育を受けたので、高校で都立芸術高校の音楽科を受けると決めた時も大変でしたが、入学してからもそのギャップに結構苦しみましたが、それはあくまでも自分の中でのことだったみたいで、周りからは、とってもマイペースな人に思われていたらしいです。
子供の頃から、近現代の作品の方が慣れ親しんでいました。
それが、20代からのイタリア近代作品への興味へと繋がっていったのかもしれません。
高校時代から、伴奏は好きでしたが中でも歌曲の伴奏が一番好きでした。
芸大に入ってからは、管楽器の伴奏をすることが多かったのですが、(歌は1人だけでした)授業で一番好きだったのは、相変わらず伴奏法でした。
ピアノは、スタンダードなレパートリーと、そうじゃないイタリアものとで並行していました。
卒業試験では、シューマンの謝肉祭と、ベートーヴェンの「告別」ソナタ、カゼッラの9つの小品・・・と今思うと、我ながらなかなかいいプログラムじゃないのって思うのですが(笑)当時は「カゼッラ?誰?」どころか「なんでそれ弾くの?」的な感じでした。
それから考えると、2013年に博士号取った時は、かなり待遇が改善されていた気がします。ありがたや。
留学はしたいなと思っていたのですが、大学の初期は「多分、ドイツかな?みんなやってるし私もやろう。」くらいの気持ちでドイツ語をやっていました。
かなり頑張って2年勉強したのですが、最後までまったくドイツ語を好きになれず。
ついていた先生の影響もあって、2年の終わりに友達と初めてイタリアに旅行で行きました。
そこで、全然イタリア語もちょっとしか知らないのに「面白い国だ」と思ってしまい、そこからはもうイタリアに行くことしか考えられなくなりました。
3年から始めたイタリア語は、楽しくて楽しくて自分がどんどん吸収していくのが感じられて嬉しかったっけ。
縁があって、ヴェネツィアで留学を始めたのは2004年3月。
主にヴェネツィア大学の学生が住む、イエズス会の経営する寮にずっと住みました。
ここには、なんとヤマハのグランドピアノが大きな部屋に置いてあって弾き放題でした。
部屋は2人部屋で、男女合わせて常に40人以上がいる寮での生活は、イタリア語の修行の場でもあり、文化と、そして個人としての戦いの日々でした。
その時、日本人というよりアジアからの学生は自分一人でした。
楽しいこともつらいこともたくさんあった留学生活。
2007年の11月に東京に帰った時は、もうイタリアに住むことはないんだな、でも一生イタリアと関わりたいと思っていました。
その後の6年間は、主に歌の伴奏を仕事にしていました。
色々な年齢の人の伴奏をし、最初は「まあ、イタリア語はこの人わかるから」だった自分が不甲斐なくて、頑張っているうちに、ますます歌の伴奏が好きになりました。
今は、ミラノの近くの小さな町に住んでいます。
初めてちゃんと伴奏をきちんと勉強しています。
今までの人生は、反発しながらもピアノだけが中心にある小さな世界でした。
最近は、少し走ったり、山に登ったり、大切な人達との生活を楽しむようになりました。
イタリアでの2度目の生活はまだ始まったばかりなので、不安と期待の入り混じった気持ちで過ごしています。
好きなものは
お茶(これがないと1日はどう過ごしたらいいものか)
ロマネスク美術(写真を見ているだけでも、楽しい)
生ハム(笑)
犬(実家のヨーキーが恋しい)
音楽は、ヘビメタ以外なら大体なんでも大丈夫。
タンゴが中でも好きかな。
絵は、カラヴァッジョとロセッティとルソーが好き。暗い感じの絵が好きです。でも、モネも好きか。
小説は、村上春樹(新しいのより昔の方が好き)、歴史小説はよく読みます。
頻繁にはしないけど、旅行が好きです。
一時、美術館で働いていたので、美術館に入ると最近はどうしても監視員の動きが気になります。
イタリアは結構監視員がゆるーい感じなので、見ていて面白いです。
ものっすごい飲めそうな顔しているのですが、ほぼ下戸です。
全く飲めないわけではないのですが、ワイン、ビールが嫌いです。
ちょっと飲んだだけで真っ赤になり、あまりいい気分ではないです。
でも、きちんとご飯を食べてからの食後酒だけは好きです。(つまり強いお酒をちょっとが好き)
イタリアにいるのに飲めないなんて!ってよく言われますが、そうですね、確かにもうちょっと飲めたらもっと楽しいのかなって思います。
料理は、好きです。
でも、どうも切り方があまり上手じゃないです。
だから、お客さんに出すものはそれがばれないようなものが多いです(笑)
甘い物は好きですが、たくさんは食べられません。
和菓子はあまり好きでないです。
どちらかというと、間食はおつまみみたいなものの方が好きです。
ともかくよく眠れます。
気を抜いたらいつまでも寝ているのではないかと自分でたまに心配になります。
父がそうなので、きっと遺伝です。
父とは顔もそっくりだし、性格も最近似てるなって思うことが多々あります。
母とは一緒にいると、「どういうご関係ですか?」ってお店に入って聞かれたりするくらい似ていません。
弟とは子供の頃からそっくりで、今でもノーメイクの日は髪の長い弟がいるみたいです。
音楽とは関係ないことばかり書いてしまいましたが
これは私です。
by barcarolaw
| 2012-06-28 19:40
| 麻子について