2014年 09月 09日
MITOのコンサートでカゼッラ |
今、ミラノではMITOと呼ばれる音楽祭をやっています。
クラシック、ロック、ジャズと割と何でもありな感じの音楽祭で、5月のPIANO CITYに続き、やっぱりミラノって色んなイヴェントがあって都会だなあって思います。
ちなみに、今はミラノ映画祭もやっていますよ。
そのコンサートの1つに、カゼッラの作品の録音もしているブルーノ・カニーノとアントニオ・バッリスタのピアノデュオのコンサートがあるということで、昨日行ってきました。
このデュオは、カゼッラの連弾曲「プパッツェッティ」も「戦争の記憶」の録音をしていて、今回は演奏会のプログラムのテーマが「第1次世界大戦」だったこともあり「戦争の記憶」を冒頭から演奏してくれました!
ラヴェルの「クープランの墓」などソロもあり、ローナ・ウィンザーというソプラノとのアンサンブルもあり、興味深い演奏会でした。
実はこのピアノデュオ、若い時の写真を使っているものなので(MITOのプログラムの写真、CDでも使ってたはず)実際に2人が現れた時の衝撃は結構大きく、あれ、こんなにお年を召していたんだっけ・・・と。
http://www.mitosettembremusica.it/programma/07092014-1700-auditorium-san-fedele.html
しかし、すごい。
演奏しだしたら年齢なんて忘れてしまうあの感じ。
私も、40年後生きていたら弾いていたいと思うのだけど、どこまでやれるんだろうとか考えてしまう。
40年って先の話のようで、きっとあっという間だから、やっぱり音楽のことでも人生でも悔いが残らないようにやってみたいことは、どんどんやらないといけないよな、と思う今日この頃。
この前、歌の講習会の伴奏で担当させてもらったテノールのヴィンチェンツォ・ベッロ先生も70を超えてらっしゃるけど、張りのある素敵な声は健在で、レッスン中に特にテノールの若い子に対して、「こうだー!」って例を見せてくれる時の声のすごさ。
あまりにもすごいんで、怒られていたはずの生徒さんがもう苦笑いしてしまうくらい。
さて、実は4年ほど前、芸大の博士課程でカゼッラの研究をしていた頃、大学院時代の恩師のおかげでブルーノ・カニーノさんにお会いしたことがあるのです。
確か、仙台のコンクールの審査員の為に来日なさっていたところで少しお時間を作って頂いて、カゼッラの録音をなさっているカニーノさんに色々とカゼッラのことについて質問させていただいたのです。
その時以来、またどこかでお会いすることができたら論文のお礼が言いたいと思っていたので(お会いした時は本当に論文が書き終わるかなんてわからないくらいの状態だったので)、今回ミラノで演奏会があるとわかった時は(しかもカゼッラ弾いたし)本当に嬉しくて。
そんなわけで、演奏会の後に出待ちをしていたのですが、なかなか出てこなくて、段々ホールの人の視線が気になりだしたので、ミラクルでカバンにレターセットを持っていたので、手紙を書くことに。
(演奏会後に友達の誕生日パーティーに行く予定で、家でバースデーカードを書く時間がなかった)
受付の人に手紙を渡し、ああ残念だったとホールを退出。
その後、買い物をしてお店を出ると、彼氏が
「おい、さっきのピアニストが歩いてくるぞ!」と。
なんとまあ、びっくりなことに本当に前からカニーノさんが歩いてくるじゃないですか。
急なことで口から心臓が飛び出しそうでしたが、声をかけると
「あれ?手紙残してくれた人?」と。
すぐに、4年前に・・・と言うと、その時のことを覚えて下さっていて、無事にお礼も伝えられました。
嬉しかったー。
そして、私は日常生活でよくイタリア語を話しながら噛むのですが、ものすごい緊張の中、ちゃんと落ち着いて会話ができたのも実は嬉しかったのです(笑)
というのは、前にヴェネツィアにいた時も時々理由なく「なんだかイタリア語が前より喋れてないかも」という感覚に陥る時が定期的にあり、1回そうなると何をしても這い上がれず、静かに嵐が去るのを待つしかないのですが、必ずその嵐の後はイタリア語がよくなったという感覚を得られるのです。
最近、ちょっとうまく喋れてないことに落ち込んでいたのですが、昨日はそれをぴょんと乗り越えて思いのままを喋れた感じがして、二重の嬉しさでした。
クラシック、ロック、ジャズと割と何でもありな感じの音楽祭で、5月のPIANO CITYに続き、やっぱりミラノって色んなイヴェントがあって都会だなあって思います。
ちなみに、今はミラノ映画祭もやっていますよ。
そのコンサートの1つに、カゼッラの作品の録音もしているブルーノ・カニーノとアントニオ・バッリスタのピアノデュオのコンサートがあるということで、昨日行ってきました。
このデュオは、カゼッラの連弾曲「プパッツェッティ」も「戦争の記憶」の録音をしていて、今回は演奏会のプログラムのテーマが「第1次世界大戦」だったこともあり「戦争の記憶」を冒頭から演奏してくれました!
ラヴェルの「クープランの墓」などソロもあり、ローナ・ウィンザーというソプラノとのアンサンブルもあり、興味深い演奏会でした。
実はこのピアノデュオ、若い時の写真を使っているものなので(MITOのプログラムの写真、CDでも使ってたはず)実際に2人が現れた時の衝撃は結構大きく、あれ、こんなにお年を召していたんだっけ・・・と。
http://www.mitosettembremusica.it/programma/07092014-1700-auditorium-san-fedele.html
しかし、すごい。
演奏しだしたら年齢なんて忘れてしまうあの感じ。
私も、40年後生きていたら弾いていたいと思うのだけど、どこまでやれるんだろうとか考えてしまう。
40年って先の話のようで、きっとあっという間だから、やっぱり音楽のことでも人生でも悔いが残らないようにやってみたいことは、どんどんやらないといけないよな、と思う今日この頃。
この前、歌の講習会の伴奏で担当させてもらったテノールのヴィンチェンツォ・ベッロ先生も70を超えてらっしゃるけど、張りのある素敵な声は健在で、レッスン中に特にテノールの若い子に対して、「こうだー!」って例を見せてくれる時の声のすごさ。
あまりにもすごいんで、怒られていたはずの生徒さんがもう苦笑いしてしまうくらい。
さて、実は4年ほど前、芸大の博士課程でカゼッラの研究をしていた頃、大学院時代の恩師のおかげでブルーノ・カニーノさんにお会いしたことがあるのです。
確か、仙台のコンクールの審査員の為に来日なさっていたところで少しお時間を作って頂いて、カゼッラの録音をなさっているカニーノさんに色々とカゼッラのことについて質問させていただいたのです。
その時以来、またどこかでお会いすることができたら論文のお礼が言いたいと思っていたので(お会いした時は本当に論文が書き終わるかなんてわからないくらいの状態だったので)、今回ミラノで演奏会があるとわかった時は(しかもカゼッラ弾いたし)本当に嬉しくて。
そんなわけで、演奏会の後に出待ちをしていたのですが、なかなか出てこなくて、段々ホールの人の視線が気になりだしたので、ミラクルでカバンにレターセットを持っていたので、手紙を書くことに。
(演奏会後に友達の誕生日パーティーに行く予定で、家でバースデーカードを書く時間がなかった)
受付の人に手紙を渡し、ああ残念だったとホールを退出。
その後、買い物をしてお店を出ると、彼氏が
「おい、さっきのピアニストが歩いてくるぞ!」と。
なんとまあ、びっくりなことに本当に前からカニーノさんが歩いてくるじゃないですか。
急なことで口から心臓が飛び出しそうでしたが、声をかけると
「あれ?手紙残してくれた人?」と。
すぐに、4年前に・・・と言うと、その時のことを覚えて下さっていて、無事にお礼も伝えられました。
嬉しかったー。
そして、私は日常生活でよくイタリア語を話しながら噛むのですが、ものすごい緊張の中、ちゃんと落ち着いて会話ができたのも実は嬉しかったのです(笑)
というのは、前にヴェネツィアにいた時も時々理由なく「なんだかイタリア語が前より喋れてないかも」という感覚に陥る時が定期的にあり、1回そうなると何をしても這い上がれず、静かに嵐が去るのを待つしかないのですが、必ずその嵐の後はイタリア語がよくなったという感覚を得られるのです。
最近、ちょっとうまく喋れてないことに落ち込んでいたのですが、昨日はそれをぴょんと乗り越えて思いのままを喋れた感じがして、二重の嬉しさでした。
by barcarolaw
| 2014-09-09 02:51
| 音楽